- 2010年頃に板橋に住み始めた
- 最初は公園なんて目に入ってなかった
- 子どもが産まれてからは公園は生活に欠かせない存在になった
板橋に住み始める
世の中に初代iPadが登場したころ、板橋の地に引っ越してきました。
常盤台駅も改修前で、今とは全然別の姿でした。中央図書館も常盤台公園にありました。
前野町にあるサントクが入っている建物の2階に、まだユニクロが入っている時代でした。そこではやりのスキニーデニムを買っていました。
運動が好きでボクシングジムや区内の体育館に設置されているジムに通って体を動かしていました。
当時はまだ公園という存在は目に入ってはいても、足を運ぶようなところではありませんでした。
ひとつの目的を除いて。
鉄棒で懸垂だけはしていました。懸垂をするためだけに公園を利用していました。
20代後半の頃のことでした。
結婚をする
板橋に住み始めてから1年程度経過したのち、結婚をしました。
休日、妻と二人であてどなく板橋の町をぶらぶらと散歩していました。
夏の暑い日はアイスを買って公園の木陰で食べていました。冬の寒い日は温かいお茶やコーヒーを買って公園のベンチで飲んでいました。
公園は休憩する場所として使っていました。
子どもが生まれる
しばらくして子どもが産まれました。
産まれてすぐはもちろん立つことも歩くこともできないですから1か月は家で過ごしますから外出は一切なかったです。一か月健診が済んだころから抱っこひもでだっこをして3人で散歩をするようになりました。
公園も散歩ルートになっていました。
子どもが立つ、歩く
1歳になるまでは主に児童館か家で遊んでいました。つまり屋内です。
1歳の誕生日を少し過ぎたころ、はじめて立つことができました。周りの子たちからすると若干遅めでしたね。
それからは公園に連れていくことになりました。でも、はじめは抱っこから降ろすと一歩も歩くことができずその場でずっと立っていました。ちょっとしかめっ面をして。
いわゆるファーストシューズですが、靴をはいて歩くことに慣れていなかったからですね。
そして歩き出してもすぐ転んでいました。
ただ、何日か続けていくと、すぐ上手に歩けるようになっていました。
公園は子どもが立って、歩く場所として利用してました。
子どもが動き回る
それから歩き回るようになるのは、あっという間でした。階段も自力で上がれるようになりました。
ここまでくれば、滑り台も自分で登って滑れます。
ブランコやシーソーで遊ぶようになったのはそれから少し経ってからですが、この頃から、公園は生活に欠かせない存在になりました。